旧蹟
  三入(三入ノ庄)といえば、熊谷氏(熊谷直実の直系の子孫)の遺跡がハッキリ残っていることで全国に有名です。例年のように多くの歴史の研究者が熊谷遺跡を訪れて学習するだけでなくて、昭和58年には今の皇太子殿下も特に来訪されて研究されたのでした。
 広島市教育委員会発行の「広島市の文化財」(A4版オールカラー152ヘージ平成7年増補改訂版)でも、「熊谷氏の遺跡」の4地点を2ページにわたり説明しています。すなわち(1)伊勢ケ坪城跡(2)高松城跡(3)土居屋敷跡(4)菩提所観音寺跡と列記しています。
 (3)と(4)が現在の三入であることは勿論、(2)の高松城跡も所在地は下町屋と記述しています。つまり元々は三入地域内でありました。今の可部町域に近いので、普通には可部の高松山と思われています。  

  全国に有名である理由は、城跡とともに城主の屋敷跡としての土居屋敷が確認できること、さらに菩提所観音寺跡も甚だしく目立つこと等々であります。全国に戦国武将の城跡は多く判っていますが、その屋敷跡が明確である例は実に少ないのです。  
 その上に、菩提所跡とさらに守護神の八幡社が堂々として指定文化財とともに在ることなどは実に実に珍しい歴史遺跡なのです。
 
 またその上に、熊谷氏関連の文書資料が特別に多く残されていることも歴史研究者の間では実に有名なのです。日本の中世史の研究にあたっては、熊谷氏関係の資料がきわめて重要な位置を占めているのです。文書資料が格別に多いことと歴史遺跡も明確であるために、日本史の研究者にとっては特別の地域なのです。
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